選ばれるためのルールをブラさないこと
今日はプライベートで数ヶ月受講している「コピーライター養成講座」から感じたことを備忘まで記しておきたいと思います。
この講座は、一生徒として参加させていただいています。
この数ヶ月「卒業制作」コンペのために各受講生が努力して、自己最高の一本をひねり出していました。
もちろん私も提案しました。
ノミネートには残りましたが、最優秀は取れませんでした。正直悔しいですが、負けたのにも納得感はあります。端的に言えば、私と最優秀を取った方とのこの案件に「向き合う姿勢」の違いだったかな、と感じました。
やはり考え抜かれたコピーというのは、説得力と納得性があります。
私も、見ていていいなぁと思うコピーは数本ありましたし、企画意図まで見れば余計にそのコピーの説得性も増します。
ですが、これはクライアント含め、私たち制作側、などこのプロモーションに関わる人たちが「長い時間かけて考えた」からこそ、そのディテールの良さまで解釈することができるのですが、実際にコピーが世に出たときにはすべての感情や判断は「受け手(生活者)」に委ねられます。
企画意図なんかお構いなしに、「伝わったか、伝わっていないか」ここしか評価基準になりません。
そもそも、広告を見て楽しんでいる人なんてのは相当な物好きか、同業者程度なもので、生活者にとってはそんなに重要なインフォメーションではありませんので、ほんの1秒以内の短時間で違和感や納得を作り出さないといけません。
完全な私見ですが「噛めば噛むほど味が出る」なんてものは、こと広告には必要なくて、13.5文字の中で何を言うか、が大事だと思っています。
(私、長いコピー書けないんですよね、基本15文字以内の入稿ルールでずっとやってきてしまったのでw)
また、これは我々のような広告を生業にしているものには当然のことですが「コンペ」には「クライアント」がいて、そのクライアントに選ばれなければ、世に出ることはまずできません。
つまり、相手がどう評価したか、が全てであって、そこにこちら側(制作者)の評価や想いは全く関係ないのです。
また、そもそも論ですが、大前提として「クライアントがオリエン時に提示していた条件」をクリアしないと、コンペに勝つどころか、そもそも検討の材料にすら上がらないということです。
要は、ルールを守らなければ、スポーツの勝敗なんて成り立たないでしょ?と考えればわかりやすいかもしれません。
クライアント自身のオリエン内容がかなりブレていることもたまにあります(その場合はオリエン時に修正する必要があります)が、そうでない場合、「そもそものルール(オリエン要件)を満たしていなければ、選ばれることはまずありません」これは経験談です。
例えば「短いコピーを」とオーダーされているのに、長いコピーであれば、たとえどんなに良い言葉を並べても、そもそも選定資格外です。
あくまでトレーニングの場、ですので、とにかく生み出すことや思考すること、そのプロセスが大事ではあるのですが、もう一歩進んで考えてみると、コピーというのは「発注者がいて成り立つ」事であるので、そこは絶対にブレてはいけないなと言うことです。
最近、社内でもお客様へのコンセプト提案やコピーの提案を、私以外がすることも増えてきていますし、共通認識を保つ意味でも、ここに記載しておこうと思いました。
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