論破よりもコンパ
京セラ社の重要イベントの1つに「コンパ」というものが有るらしい、ということは多くの方が既知の事実かと思います。
参考記事はこちら:https://www.kccs.co.jp/consulting/column/2014/006/
とっても乱暴に、かつ簡単に括ってしまえば「社内の懇親会や飲み会でしょ?」という理解になってしまいそうだが、それだけの軽いものではない。
そのことは稲盛さんの著書などを読んでいる方であれば、良くお気づきになることでしょう。
意味や意義のない、目的のない「ただの飲み会」はたしかに不要だ、と私は思う。
ただ、集まって、憂さ晴らしをしたり、人の悪口を言うような、また、誰かを否定したり、吊し上げたり、論破するような飲み会も意味がないし、やるべきでもない。
こうした「意味のない飲み会」「生産性のない飲み会」は私も徹底的に参加しないようにしています。
限られた人生の、貴重な時間の無駄、だからだ。
では、京セラ流のコンパ(あえて「ただの飲み会」と別の言葉として定義するが)は何が違うのか?という考察です。
コンパはコンパニーが語源だとされ、「仲間意識を醸成すること」「仲良くなること」が元々の意味らしく、そういう状態になることが「コンパの目的」となる。
では、仲良くなるため、仲間意識を醸成するための会(コンパ)の場で、「ただの飲み会」のような、憂さ晴らし、陰口悪口、否定的な討論での論破、否定、吊し上げ、を皆さんはするだろうか?
おそらく、そういうコミュニケーションはしないですよね?
「コンパ」は、互いの理解を深めること、互いに認め合い、リスペクトし、時には落ち込む同僚に対して、勇気づけや動機づけなどのエンパワーメントをすることもあるだろう。
根底にあるのは、何度もいうが「仲間意識の醸成」や「他者を容認する(リスペクトする)思いやり」だ。
一緒にがんばろう!という一体感
いいな、ステキだな、応援したいな、という共感と共鳴などを生み出す場だ。
この2年ほどは、なかなかフィジカルな飲み会はしにくくなって来ていますが、私自身も社員とのコンパは可能な限りの時間を使うようにしている。
こちらから声をかける時も有れば、「ちょっと(良いことあったので)聞いてください!」みたいな場合もある。
いつでもウェルカムであるということ、いつでもどうぞ、という意志は伝えています。
早く、マンボウ解禁にならないかな。
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